第2回アートダイバー。
今回は、怪優佐野史郎を迎えての対談でした。
二人の共通点は、新宿ゴールデン街?
なんとも痛快なお話でありました。
アートダイバーは、青山ブックセンターが主催するもので、
中沢新一さんが追究する芸術人類学のテーマに沿い、
音楽、建築、アート、演劇など芸術表現のジャンルから
ゲストを迎えてセッションする一夜限りの講座。
前回は、建築家の伊東豊雄さん。
今回のテーマは、ゴジラ映画とアングラの共通点。
もともと、佐野史郎さんは状況劇場の出身。
いまだに、きちんとした理解が得られていないアングラと
子供の映画と思われているゴジラ映画の共通点を
おー!という観点でお話しされました。
一言でいえば、「すべては神事」。
映画も演劇も、
人間が人間内の思考を発しているのではなく
人間の外側にある神によって動かされている
という考え方。
アングラ劇は、そのほとんどが
崖の下や坂の途中で行われていたそうです。
そのあたりは、東京の霊のスポット。
そこから、トンネルをのぞくように向こう側を見ていたのです。
また、ゴジラ映画のモノクロフィルム時代のものは
ゴジラの襲撃を借りて
原爆や空襲という記憶を再現していました。
その映画には、大御所と言われる役者、
たとえば志村喬さんなどが出演していますが、
その演技が特徴的。
まるで感情のないようなセリフ回しをしているのです。
こんな映画に出て、
まじめにやっていられないということではなく
外側の世界から、
そう言わされているのだ、というのです。
いや、ただただ驚きでした。
しかしそう言われてみるとそうです。
人間が人間を演じているとしたら
何がおもしろい?
たとえば、能楽。
そのほとんどが、死者の思いを
人間の姿を借りて発している。
外からの声をどう人に対して響かせるか、なのです。
小津映画の中の笠智衆さん。
相手が泣いているにもかかわらず、
淡々と表情も変えません。
それは、監督からの指示で
能面を付けて演技せよ、ということがあったそうです。
つまり、小津映画は神事。
下からのアングルは、能舞台の下から
観客が見ているということだったのでしょうか。
そう考えると、ますます非対称の世界はやばいことになる。
ひとつの価値観の世界では
違うものが排除され、シュリンクしていってしまう。
やはり、対称性の世界をつくらねばならないのでしょう。
わずか2時間半くらいのお話でしたが、
重要すぎる内容でした。
次回も楽しみです。

