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コミュニケーションの耳袋

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2009年05月04日(月)

私の永遠のアイドル、忌野清志郎

死ぬなー!
と心の中で叫び続けていましたが、
往生してしまいました。
キヨシロー、
いまどこを飛んでいるのですか?

同世代のヒーローで
私の永遠のアイドルでした。
大学生のころに見たキヨシローは
スツールに腰かけて、
「僕の好きな先生」を歌ってました。
突然、姿が見えなくなったなあと思っていたら
70年代後半に、チャボこと仲井戸麗市とともに
ド派手な姿で再び現れました。
いまでいう、ビジュアル系ですが、
そういう感覚とは全く違う、
社会の言う通りにはならないぞ、みたいな
奴らでカッコよかったなあ。

それですっかりまいってしまって、
「いけないルージュマジック」がヒットする前だったか
まだまだ、それほどメジャーじゃなくて
小さな音楽事務所でしたが
私のCMのナレーターを頼んだことがあります。
ペプシコーラがNew Generationというキャンペーンで
音楽CMをガンガンやっていたころです。
もちろん、ガンガンはアメリカで、
日本では少々。
マイケルジャクソンも出てましたよ。

それで、スタジオにやってきたのは
ステージ帰りのキヨシロー。
ド派手な衣装のまんま。
“コンチャーッス、ヨロシク”てな感じでしたか。
いちばん印象的だったのは、爪の垢がたまってたこと。
なんだか、すごく近しいなと感じてうれしくなったことを
覚えてます、いまでも。

しかし、そのころはナレーションも下手。
私には、個性的でいいなあ、と思ったのですが、
後日、クライアント試写でNG。
悔しくてぐれましたよ。
そのテープ、見つかりません。

滅多に行かないのですが、
カラオケでの定番は、「雨上がりの夜空に」。
なんだか歌いたくなりました。

ほんとうにたくさんの人に愛されたキヨシロー。
きっと、70歳でも、80歳でも
ロックを歌っていると信じてました。
そのために、自分も長生きしようと。
聞きたかったなあ、80歳のキヨシローの歌。

ジョンレノンといい、
キヨシローといい、
どうして、人は死ぬのかなあ。

今回ほど、自分の死を感じたことはありません。
人はいつか死ぬのか。
死はそれほどこわくないけど
まだ、死にたくない。
たくさんの人と、大事な人と
もっと素晴らしいことがありそうだから。

キヨシローさん、ご冥福を。

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コメント (5)

関橋さん、こんにちは。

忌野清志郎さんという方は、あの変わったイデタチにもかかわらず、年齢や職業を問わず、多くの人から愛されていたということに驚き、勉強になりました。

先生の本も、とても勉強になります。でも実際に当てはめた場合、どうしたら良いのか、なかなか答えが見つかりません。

今後とも、どうかよろしく。

せきはし:

土方さん

ほんとうに、キヨシローみたいな人が
いなくなるのは、日本の財産を失うことです。
残念だなあ。

それから、ブランディングをする場合
本だけではなかなか実践できないと思います。
やはり、実際の仕事を通して、
また、それに似たワークショップで
感覚を覚えるのが一番でしょう。
そのうち、
そういうワークショップを
やりたいと考えています。

お返事、ありがとうございました。

ウェディングに頼らない料亭の復活というのはありえますか?

丸田秀一:

関橋さん

ボクも中学生からRCが大好きでRCばかり聴いていました。
解散してからも清志郎さんの曲を聴いていました。

彼が癌に罹ったこと、
手術を受けたら命は助かったかもしれないのに、歌をうたうことを選んだこと、
を報道で知って複雑な気持ちでした。

今は冥福を祈りながら、彼のDVDを爆音のヴォリュームで視聴しています。

せき:

丸田さんも、
清志郎に参っていたんですね。
同じ志をもつ同士。
あの清志郎の永遠に熱い気持ちを
持ち続けたいものです。

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