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コミュニケーションの耳袋

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2008年12月11日(木)

師匠の「釣狐」に感無量

野村万作の会の狂言師、深田博治。
誠実で力強い演技は定評です。
実は、深田さんは私の師匠。
その「釣狐」には感動しました。

12月8日(月)の朝日新聞夕刊のコラム「窓」を
読んだ方はご存じでしょうが、
「釣狐」という狂言の演目は、
狂言師の卒業論文のようなもので、
いままでの狂言とはまるで違う部分もたくさんあります。

いかに狐に見えるか、人間の姿をしているけれど
それが人とはどう違うか。
だから、すり足とはまた違った足の運び方をしたりします。
狂言の技がしみ込んできた役者にとっては
逆にむずかしいものなのです。

「猿」にはじまり、「狐」に終わるといわれる狂言の道。
多くは、歌舞伎と同じで、世襲です。
野村萬斎さんは、野村万作さんの息子というように。

歌舞伎の世界の素人養成所は、
市川笑也さんを輩出するなど有名ですが、
能・狂言の世界のことはあまり知られていません。

わが師匠・深田博治さんは、
国立能楽堂が養成する第4期生。
歌舞伎と同じく、主役を養成するというより
なり手の少ない、ワキ方(主役の相手役)、
笛や鼓などの囃子方を養成するのが狙いです。

とくに、和泉流野村万作家では、
釣狐は、万作さんの十八番。
狂言としては圧倒的に長い1時間という長丁場を
緊張と肉体的きつさでしのがなければなりません。

前半の体勢は、背中を大きく前かがみ。
杖は持っているが、地面から少し浮いたところでキープする。
そして、狐の表(おもて)をつけているので
台詞がこもりがち。
猟師の信頼するおじさんに化けて、
狐狩りをやめさせようと、故事をもちだして説得する。

後半は、狐のぬいぐるみを着ての
狐の本性と理性との戦い。

はあはあ、と息を切らしながらの熱演は
こっちまで汗水状態に追い込みました。

万作さんはこう言います。
「何も考えず親の真似をする子どもと違って、
大人になってから始める稽古は、本人も教えるほうも大変」

この言葉は身にしみてわかります。
私たち、素人の弟子には緊迫感はありませんが、
やはり、大人の理性が邪魔をします。
ここは、こうだろう?ここは、こんな風か?と。

振り返って、仕事のことを考えると
この教えは、大切なことを伝えています。
モノを覚えるとき、学ぶとき、
「無心」の心が必要だと。
大人の、社会の固定観念にとらわれず、無心。

師匠の舞台を見ていて、また教えられました。
感謝です、深田さん。

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