野村万作狂言十八選の第三回、三番叟である。
場所は、八百万の神の総元締め、出雲大社。
神事としての三番叟は、またとない場所で演じられた。
野村万作、会心の三番叟である。
まさに神にささげる祈り。
出雲大社にはその成り立ちからして、能楽堂はない。
本殿を背にしての仮設舞台。細い4本の竹を柱に見立てて屋根もない。
しかしかえって、神事を執り行う舞台としては厳粛でもあった。
万作が現れると、いつもの狂言とは空気が違い、見る側まで
万作を通して、神への交信が始まったかのようであった。
踏み鳴らす足音が、不思議なリズムに連れて行く。
いままでも、見たことがあったが、
いままでにない、気の動きを感じた。
能はあまり見たことがないが、能の一部としての狂言は
こうだったのか、とあらためて狂言を考えることになった。
3曲目の、福の神では、
身近にいそうな神様に扮する万作のあたたかいオーラが伝わってきた。
同じ万作なのに、とても小さく感じられ、
それが神様への近しい感じを作っていた。
金持ちになりたいからといって、
ただ神頼みはいかん。日ごろからの行いがいちばん大事だ。
という当たり前のことを、神様から言われると
そうだな、と思ってしまう。
狂言は今日言。じぶんを振り返るべし。そうであった。

