ある展示会に行ったときのことである。
オープニングなので、トークショーがあった。
哲学者、批評家など大学教授という、そうそうたる面々だ。
トークは自然と哲学的、芸術的な用語が頻発する。
しかし、聴衆はというと、
ほとんどの人がストレスを抱えているように見えた。
普通の日本語で言えばいいものを、あえて、難しい外国語を使う。
挙句の果ては、そうした哲学用語の解釈について論じ始める。
誰も理解している空気はない。
それどころか、あちこちで私語が始まり、眠っている人まで
出てくる始末。
それほど大きな会場でもないので、弁者には見えているはずなのに。
私の心に浮かんだのは、なぜ?
トークショーとはいえ、聞いている人に向かって話す、
つまり、伝えることが目的のはずだ。
ところが、持論を聞かせてやるのようにしか聞こえてこない。
それにしても、なぜ、こういう人たちは難しく言うことが好きなのだろう?
いや、それが権威を保つとでも思っているのだろうか?
いまは、難しいことを簡単に言ってくれる人が
いちばんカッコいい。哲学者・宗教学者中沢新一のように。
なによりも、展示会に来ている人は、
ほとんどが作品について聞きたいと思っているはずだ。
私はこの作品が好きだ、なぜかというと、くらいわかりやすくていい。
内輪のサロンででも盛り上がればいい。
ほんとうにコミュニケーションはむずかしい、と思わされた。
ついつい、聞いている人のことを忘れてしまうのだろう。
わが身にドキッとする刺激を与えた時間だった。

